建学の理念

百四十年にわたる伝統と21世紀の学びを追求する革新

伝統 建学の理念

二松學舍は明治10年、漢学者であり法曹界の重鎮であった三島中洲により創立されました。
理念は「己を修め人を修め一世に有用なる人物を養成するに在り」。すなわち、日本が世界に開かれる時代に、自国の文化を正しく理解し、母国語を正しく表現できる真の国際人の養成を目指したのです。同時に中洲は断片的な知識だけでなく、物事を深耕する力を身につける大切さを説きました。これは長期的な視野に立ち、根気強く学問に取り組むことによってのみ、成就する力です。
中洲の教えは、140年にわたり脈々と二松學舍に受け継がれています。

創立者 三島 中洲
創立者 三島 中洲(1830〜1919)
夏目 漱石
夏目 漱石(1867〜1916)

明治時代を代表する文豪。少年時代の一時、二松學舍で学び、多感な青春時代を過ごしました。この学び舎で、「史記」や「論語」「唐詩選」「皇朝史略」といった古今の漢文に触れ、その知識と教養を存分に深めていきました。儒教的論理観や東洋的美意識を磨いたその神髄は、後に遺した作品の多くに垣間見ることができます。

犬養 毅
犬養 毅(1855〜1932)

明治23年の第1回衆議院議員総選挙での当選以来42年間で18回連続当選し、政党政治家として活躍。世界恐慌や満州事変等、国政が困難を極めた時期に内閣総理大臣に就任、積極財政をとって不況対策に努めました。

平塚 雷鳥
平塚 雷鳥(1886〜1971)

女性解放運動家。婦人文芸集団・青鞜社を創設、婦人参政権運動に尽力しました。明治39年頃、二松學舍で漢文を学びました。漢学は「永久に根本的に青年の学ぶ価値のあるものであり、新しいもののもとになるものである」と説いています。

嘉納 治五郎
嘉納 治五郎(1860〜1938)

明治11年、二松學舍に入塾。講道館を創設し、柔道普及に尽力。高等師範学校校長として教育界の人材育成につとめました。また国際派でもあり、中国からの留学生教育や柔道の国際化にも注力しました。日本の初代IOC委員としても活躍しました。

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